エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
ラマダン氏―2 雑感 | 小林恭子の英国メディア・ウオッチ
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
ラマダン氏―2 雑感 | 小林恭子の英国メディア・ウオッチ
前回、タリク・ラマダン氏のことを書いたのだが、会見時から頭に残って離れない疑問があった。 それは直... 前回、タリク・ラマダン氏のことを書いたのだが、会見時から頭に残って離れない疑問があった。 それは直感のようなものなのだが、一人のムスリムとして、西欧社会(イスラム文化がメインではない社会、キリスト教的価値観の社会、と想定した上で)に向かって発言をするときに、西欧社会の中の「ムスリム観」を前提として話していたようだった。この点に私が違和感を持ったのには理由がある。 英メディアを見ていると、特に7・7ロンドンテロ以降その傾向が強いが、ムスリムたちに対するネガティブな報道が多い。「ネガティブ」というのは、報道のスタイルがそうだというよりも、もっと根っこの部分のことだ。つまり、議論の最初の出発点が、「ムスリム(あるいはイスラム教)=問題」、だから、「何とかしなければならない存在」、となっているように見える。 私はこの点に疑問を感じるようになった。欧州とムスリムという問題を考えるとき、むしろ、西欧社