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死に抗う、無意味でかつ自由な生命 - やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)
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死に抗う、無意味でかつ自由な生命 - やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)
浅田彰『構造と力』といえば、ポスト構造主義の前史から当時の最前線までを扱った優れた思想史の書と見... 浅田彰『構造と力』といえば、ポスト構造主義の前史から当時の最前線までを扱った優れた思想史の書と見做されており、実際に紙幅の多くはラカンやドゥルーズ=ガタリといったポスト構造主義者の理論に対する議論に充てられている。だが本全体の底流にはマックス・シェーラーやゲーレンらの人間学、またシュレディンガーやウィーナーらの生命論といった文脈が流れていることを、ある人は微かに感じ、またある人は強く意識するであろう。 蛮勇を畏れずに要約するならば、ここで用いられる人間学とは「ヒトは本能を失った生き物であり、それを補うために文化を創造した」というテーゼであり、生命論とは「生命とは負のエントロピーを摂取することによって全体のエントロピー増大に抗う局所系である」というテーゼである。 先日のいわゆる〝バズった〟ブログ(『不自然な男の性欲』)は、この人間学のテーゼを前提としている。人間学によれば、本能を喪失した動物