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太宰治 正義と微笑
わがあしかよわく けわしき山路(やまじ) のぼりがたくとも ふもとにありて たのしきしらべに ... わがあしかよわく けわしき山路(やまじ) のぼりがたくとも ふもとにありて たのしきしらべに たえずうたわば ききていさみたつ ひとこそあらめ [#改ページ] 四月十六日。金曜日。 すごい風だ。東京の春は、からっ風が強くて不愉快だ。埃(ほこり)が部屋の中にまで襲来し、机の上はざらざら、頬(ほっ)ぺたも埃だらけ、いやな気持だ。これを書き終えたら、風呂(ふろ)へはいろう。背中にまで埃が忍び込んでいるような気持で、やり切れない。 僕(ぼく)は、きょうから日記をつける。このごろの自分の一日一日が、なんだか、とても重大なもののような気がして来たからである。人間は、十六歳と二十歳までの間にその人格がつくられると、ルソオだか誰(だれ)だか言っていたそうだが、或(ある)いは、そんなものかも知れない。僕も、すでに十六歳である。十六になったら、僕という人間は、カタリという音をたてて変ってしまった。他(