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漱石さんのロンドンにおけるエピソード (土井 晩翠)
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漱石さんのロンドンにおけるエピソード (土井 晩翠)
詩人、英文学者。「荒城の月」の作詞者である(作曲は滝廉太郎)。「オヂュツセーア」「イーリアス」の... 詩人、英文学者。「荒城の月」の作詞者である(作曲は滝廉太郎)。「オヂュツセーア」「イーリアス」の翻訳者としても有名である。生い立ちについては、「「雨の降る日は天気が悪い」序」にある自伝を引用する。 『父は七郎兵衞(初名は林七――號は擧芳)母は愛、略三百年仙臺に定住して來た家で、明治四年(公元一八七一)十月二十三日(太陰暦)同市北鍛治町に生れ、八歳の時、『培根小學校』(今の木町通小學校)へ入學、十一歳の九月、擧家一同大町に移つたので近所の佐久間(晴嶽)塾に數ヶ月入塾、轉じて立町小學校に入り、十四歳で卒業したが、それから十八歳までは獨學、只一年内外齋藤秀三郎先生が當時創設された仙臺英語塾に通學、十八歳の九月に二年前新設の第二高等學校の補充科第二年に入り、豫科三年本科二年を卒へ、續いて當時唯一の(東京)帝國大學に入り英文學を修め、明治三十年卒業、三十二年母校に奉職、三十四年六月出發、外遊して英佛