エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
武器作る手助けを悔やむ 名古屋の望月さんが悲劇語り継ぐ:中日新聞Web
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
武器作る手助けを悔やむ 名古屋の望月さんが悲劇語り継ぐ:中日新聞Web
名古屋市名東区亀の井一の望月菊枝さん(90)は女学生だった太平洋戦争末期、学徒動員により航空機部... 名古屋市名東区亀の井一の望月菊枝さん(90)は女学生だった太平洋戦争末期、学徒動員により航空機部品を製造する三菱電機の工場に勤めていた。空襲を避けるため移転を繰り返した工場はついには爆撃され、多くの学友を失った。昭和から平成、そして令和へ。卒寿を迎えても、後世に伝えたい思いは変わらない。「武器がなければ攻撃されない。この国に軍備は必要ない」(右田誠弥) 大曽根にあった工場へ動員されたのは、市立第三高等女学校の二年生だった一九四四(昭和十九)年のこと。鋳造部品にやすりをかけ、機械でつるして薬品に浸し、メッキを施す作業を担っていた。作った部品の使い道に興味はなく、計器の目盛りに塗る夜光塗料でカバ...