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「殉難おとめの像」前 慰霊の集い:北陸中日新聞Web
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「殉難おとめの像」前 慰霊の集い:北陸中日新聞Web
元女子挺身隊員・西村さん 空襲の悲惨さ語る 「戦争は、絶対にさせてはならんことや」 戦時中に愛知県豊... 元女子挺身隊員・西村さん 空襲の悲惨さ語る 「戦争は、絶対にさせてはならんことや」 戦時中に愛知県豊川市の豊川海軍工廠(こうしょう)で空襲の犠牲となった女子挺身(ていしん)隊を追悼する慰霊の集いが七日、金沢市末広町の「殉難おとめの像」の前であった。元隊員や遺族ら十一人が犠牲者を悼み、平和を祈った。(戎野文菜) 一九四五(昭和二十)年八月七日、「東洋一の兵器工場」といわれた豊川海軍工廠は米軍による空襲を受けた。二十六分間で落とされた爆弾は三千発以上。石川県内出身の女子挺身隊五十二人を含む約二千五百人が犠牲となった。殉難おとめの像は六二年、中日新聞北陸本社の呼び掛けで、元隊員や遺族らでつくる豊友会などが協力して建立。毎年像の前で犠牲者を追悼する集会が開かれている。