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岩宿遺跡について|群馬県みどり市
「岩宿」のあゆみ 岩宿遺跡遠景(最初の発掘調査の頃) (写真提供:明治大学博物館) 第二次世界大戦の頃... 「岩宿」のあゆみ 岩宿遺跡遠景(最初の発掘調査の頃) (写真提供:明治大学博物館) 第二次世界大戦の頃までの考古学者は、発掘を進めた際に赤土(関東ローム層)が出ると、それを「地山」と呼び、それ以上掘ることはありませんでした。土器を使っていた縄文時代(世界史では新石器時代にあたる)の人々が、日本における最初の住人だと考えていたからです。この考古学・日本史の常識を覆し、旧石器時代の日本にも人々が生活していたことをはじめて明らかにしたのが、岩宿遺跡です。 岩宿遺跡(A地点) 相澤忠洋さん(発掘調査の頃)遺跡の発見、発掘 岩宿遺跡は、群馬県みどり市笠懸町阿左美地内の琴平山・稲荷山という小さな丘陵が接する部分に位置しています。 1946年、切り通しの道となっていた岩宿遺跡を通りかかった相澤忠洋さんは、切り通しで露出していた赤土(関東ローム層)から石器を発見しました。相澤さんはその後も、何度となくその