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伝えるヒロシマ 爆心地500メートル <3> 69年ぶりの訪問 藤嶋和子さん
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伝えるヒロシマ 爆心地500メートル <3> 69年ぶりの訪問 藤嶋和子さん
藤嶋和子さん(69)は、爆心地の南東約380メートルとなった日本銀行広島支店で被爆した。母の背に... 藤嶋和子さん(69)は、爆心地の南東約380メートルとなった日本銀行広島支店で被爆した。母の背に負われ生後5カ月だった。無論、直接の記憶はない。それどころか「建物が残っていたんや」と、広島市中区袋町に立つ鉄筋3階の外観を見るなり驚きを口にした。取材の求めに応じて69年ぶりに足を踏み入れた。現在は神戸市北区桂木に住む。 まず2階の資料室で、自らもいた1945年8月6日を確かめた。板壁には爆風によるガラス片が突き刺さった跡が残る。よろい戸を開けていたため全焼した3階内部や、廃虚と化した市中心街の写真も食い入るように見た。「思うてたよりもずっと被害がひどい」。沈痛な表情を浮かべた。3階にあった広島財務局では12人が、日銀職員は8人が犠牲となった。 続いて、金庫室などがあった地下に下りた。母の富岡キクさん=当時(32)=に背負われて下りた場所でもある。「地下に入ってへんかったら、今こうしてここにお