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叱れない親と叱りすぎる親 | 東京の心理カウンセリング|斎藤学メッセージ
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叱れない親と叱りすぎる親 | 東京の心理カウンセリング|斎藤学メッセージ
2018年1月19日 以下は既に「児童心理(金子書房)」という雑誌の98年7月号(通刊699号)に収載さ... 2018年1月19日 以下は既に「児童心理(金子書房)」という雑誌の98年7月号(通刊699号)に収載された論考を、一部修正したものである。 雑誌では、「叱れない親と叱り過ぎる親」という特集の巻頭に載せられていたもので、「いま求められている父の役割、母の役割」という副題付きであった。 「不在の父」の起源 最近、「父性の復権」という言葉を耳にする機会が増えた。 家庭や子育てを妻まかせにしている父親や、満足に子供を「叱れない父」「だらしない父」「不在の父」が普遍的になっているからであろう。 この主張の底流には、世の中の秩序の乱れは家族に始まる、だから「男はもっとしっかりしなくてはならない、家族から逃げて職場にへばりついてはならない」という考え方が横たわっている。 これは、「女はもっと家庭を守ることに専念しなければならない」という説教に呼応している。 この手の話は日本だけで出ているものではない。