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9月25 2人の私 Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 私というのは2人いるらしい・・・とい... 9月25 2人の私 Tweet カテゴリ:芸術・哲学・神秘思想社会・教育 私というのは2人いるらしい・・・というのは、よく言われる。 アニメの『ちびまる子ちゃん』で、まる子のイメージの中に、天使のまる子と悪魔のまる子が現れて争うというのを見たことがある人も多いと思う。欲望のまま、楽な方、面白い方に行こうとする悪魔のまる子を叱り、辛くても善の方に引っ張っていこうとする天使のまる子というのは、我々にもよく分かるものだと思う。 フロイト流に言えば、普通、自我と言っているのは、悪魔のまる子の方で、天使のまる子の方を超自我と言う。超自我は、自我にルール・道徳観・倫理観・良心・禁止・理想を伝えるもので、フロイトは時に、超自我を、裁判官や検閲官のようなものと言った。 偶然なのだろうかと思うが、アメリカのSFの大作には、この超自我の発達していない子供がよく出てくる。『宇宙戦争』(2005年)で、トム・クル