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ミメーシスを超えて 岡田温司著
美術史は作品や歴史の真実を鏡のように写し出している。美術史は自律し、自己完結している。美術史に理... 美術史は作品や歴史の真実を鏡のように写し出している。美術史は自律し、自己完結している。美術史に理論はいらない。――こうした美術史の無意識が、ここ十数年いろいろな形で意識化され問直されている。著者もこの立場から、自画像のジレンマ(鏡像、左右の反転)をデューラー、レンブラント、カラヴァッジョの作品を例に論じ、ペストという大惨事と死や恐怖の図像の関係を問直し、ヴェネツィア絵画のタッチをめぐって再考。「聖トマスの不信」を<傷のメトニミー>として、見る側からイメージをふくらませて解釈。具体的な議論は説得的だ。 1 「天才と狂気は紙一重」――ロンブローゾと日本 2 「私」を表象する――自画像再考 3 ペストと美術――14世紀のトラウマとその徴候 4 色彩・タッチ・皮膚――ヴェネツィア絵画を描く手、観る眼差し 5 「傷」のメトニミー――あるいはカラヴァッジョの《聖トマスの不信》をめぐって 註 エピローグ