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三國連太郎 よく殴る父親から逃げるため「家出を繰り返した」
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三國連太郎 よく殴る父親から逃げるため「家出を繰り返した」
三國連太郎は1923年群馬県生まれ。1951年にデビュー後、数々の名作に出演。1987年に製作・監督した『親... 三國連太郎は1923年群馬県生まれ。1951年にデビュー後、数々の名作に出演。1987年に製作・監督した『親鸞 白い道』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞。『釣りバカ日誌』シリーズで「スーさん」の愛称で親しまれる三國は、母について語るなかでこう述べている。 * * * 私にとって「おふくろ」はただただ優しい女でした。伊豆半島の小浦という漁村で網元の娘として生まれたそうですが、船が沈没して零落してしまい、広島・呉の海軍軍人の家に女中奉公に出されたそうです。それである時、実家に帰ろうとして沼津でたまたま親父と出会い、私が生まれました。 親父は電気工事の職人でした。普段は女房にも子どもにも優しい親父でしたが、とにかく手が早くて、悪ガキだった私はしょっちゅう殴られていました。 とにかく殴られるのが嫌で、縁の下に隠れていたりすると、おふくろが親父には内緒で毛布やご飯などを持ってきてくれるんですね。