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冬季五輪初金メダリスト笠谷幸生氏のメダル 哀しい扱いに
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冬季五輪初金メダリスト笠谷幸生氏のメダル 哀しい扱いに
その事実は、ひょんなことから発覚した。 「ソチ五輪では高梨沙羅の金メダルは可能性十分。そうなれば、... その事実は、ひょんなことから発覚した。 「ソチ五輪では高梨沙羅の金メダルは可能性十分。そうなれば、同じ北海道出身のジャンプ選手で、冬季五輪で日本に初めて金メダルをもたらした英雄、笠谷幸生氏のことも注目されると思い、彼の出身地に取材に行ったんです。現場で色々調べて、驚きましたね」 地元紙記者は苦笑しながら、こう続けた。 「笠谷氏の金メダルが、“行方不明”になっていたんです」 ──1972年の札幌五輪。70メートル級ジャンプでは、日本人選手が表彰台を独占、『日の丸飛行隊』と呼ばれた。1位になったのが、北海道・仁木町出身の笠谷氏だった。 笠谷氏は1988年、「育ててもらった郷土の子どもたちに見てもらいたい」と、この金メダルを町に寄贈。選手時代に使用したスキーセット、獲得したカップや賞状などとともに、山村開発センター内の郷土資料室に展示されていた。 現在も同センター内には『笠谷幸生選手展示コーナー