エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント2件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『ホーリー・モーターズ』レオス・カラックス<div align="right">隈元博樹</div>
[ cinema , cinema ] 目の前に映る登場人物たちに、僕たちはそれぞれの行動原理や動機を求めたがる。登... [ cinema , cinema ] 目の前に映る登場人物たちに、僕たちはそれぞれの行動原理や動機を求めたがる。登場人物の頭に、必ず「なぜ、どのようにして」といった簡単な疑問詞を投げかけるのだ。行動原理や動機が説得される場面に出くわすと、僕たちはそのフィルムの浄化作用(=カタルシス)に触れ、ポンと膝を打ったように満足感を覚える。だけどカタルシスは時に迂回し、見え隠れするものだ。そう最初からたやすく目の前に現れてくるものでもない。一度全編を通して見てもわからず、二度目にやってくるカタルシスもあるだろう。そうしたカタルシスの行方や存在そのものに対し、見事な一石を投じた刺激的なフィルム。それがこの『ホーリー・モーターズ』だ。 オスカー(ドゥニ・ラヴァン)には数々の「アポ」が存在する。白塗りのリムジンのなかで運転手のセリーヌ(エディット・スコブ)から渡される、ひとつひとつの「アポイントメント」。
2013/01/30 リンク