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コシヒカリの祖父「森多早生」を訪ねて - あぜ道日誌 - 株式会社アスク - 株式会社アスクはお米の専門店「米屋」です。
今から100年前、1913年(大正2年)に創選された水稲品種森多早生、そのすぐれた特性が、農林1号を通じて... 今から100年前、1913年(大正2年)に創選された水稲品種森多早生、そのすぐれた特性が、農林1号を通じて、孫のコシヒカリ、ひ孫のササニシキ、そしてつや姫などのおいしいお米の品種に引き継がれていることは意外と知られていません。育成者森屋正助翁(のち多郎左エ門)の功績を称える頌徳碑が建立されたのも、創選後76年を経た平成元年になってからです。 菅洋氏は「歴史に”もし”は許されないが、もしも森多早生が育成されていなかったら、コシヒカリもササニシキもこの世になかった」と述べています。 それほど優れた品種であったにも関わらず、森多早生は、育成者と品種名が誤り伝えられ、やがて忘れ去られようとしたのです。まずは育成者です。育成者が森屋正助ではなく、父親の已之助になっていたことです。育成した当時、正助はまだ22歳であったため、役場の係員が「若者がそんな品種を創るはずはなかろう・・・・・・・・」と父の名前
2014/07/06 リンク