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『夜と霧』感想 強制収容所集団心理分析と「生きる」ことの考察 - 羆の人生記
書籍『夜と霧』新版を読みました。 ヴィクトール・E・フランクルが記したものを池田佳代子さんが訳した... 書籍『夜と霧』新版を読みました。 ヴィクトール・E・フランクルが記したものを池田佳代子さんが訳したものです。 内容はアウシュビッツ強制収容所の体験を通じた心理学者の分析結果。 ここにその一部を紹介し、所感を述べて終わります。 フランクル略歴 第一段階「これまでの人生をなかったことにした」 第二段階「アパシー」 第三段階 解放後の心理 生きることの意味 フランクル略歴 1905年ウィーン生まれ ウィーン大学在学中にアドラー、フロイトに師事し精神医学を学ぶ 精神科医としても有名だったが、脳外科医としての腕前も一級 1941年12月に結婚、9か月後に家族ともども強制収容所テレージエンシュタットに収容 父はここで死亡、妻と母は別の収容所に移されて死亡 1944年10月、アウシュビッツに送られる 3日後にシュルクハイムに移送 1945年4月にアメリカ軍により解放 1946年からウィーンの神経科医に勤
2016/11/11 リンク