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小西行長(西軍)─加藤清正との確執がこの戦いに私を導いた…… | 歴史人
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小西行長(西軍)─加藤清正との確執がこの戦いに私を導いた…… | 歴史人
様々な想いを抱えて、数多の戦国武将が命を懸けた関ヶ原合戦──。その関ヶ原合戦にはこれまであまり知ら... 様々な想いを抱えて、数多の戦国武将が命を懸けた関ヶ原合戦──。その関ヶ原合戦にはこれまであまり知られていない武将も参戦した。ここではそれらの中から東西両軍武将たちをフォーカス。武将たちの動きと心の裡(うら)を読み解く。今回は、豊臣秀吉の子飼いの武将として知られ、同じく子飼い武将・加藤清正へのライバル心をむき出しに戦った小西行長に迫る。 小西行長 こにし・ゆきなが 所領/肥後・宇土約20万石 動員兵力/約4,000人(推定) 布陣場所/北国街道と東山道(中山道)の中間点にある北天馬山 合戦での動向/奮戦するも西軍諸隊が総崩れした後、敗走 戦後の処遇/改易 私が西軍に身を寄せたのは、決して内府公(徳川家康)が嫌いだったからでも、内府公と馬が合わなかったからでもない。むしろ、私と内府公とは、太閤殿下(豊臣秀吉)の下で手を携え合って様々な仕事をこなしてきた。私自身は内府公の存在について「得難い人物