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【追憶のスタジアム(5)】大阪球場 南海ホークス黄金期の舞台 (1/3ページ) - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)
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【追憶のスタジアム(5)】大阪球場 南海ホークス黄金期の舞台 (1/3ページ) - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)
かつて大阪で通天閣に勝るとも劣らない存在感を示していたのが、ミナミの繁華街にあった大阪球場(正式... かつて大阪で通天閣に勝るとも劣らない存在感を示していたのが、ミナミの繁華街にあった大阪球場(正式名称・大阪スタヂアム)。1950年代から60年代にかけて、隆盛を誇った南海(現ソフトバンク)の本拠地だ。三冠王の野村克也、下手投げのエース杉浦忠、“親分”こと鶴岡一人監督…。そこには、こてこての浪花節があった。(小林忍) ◆投手の癖研究ID野球発芽 1965年に打率・320、42本塁打、110打点で戦後初の三冠王に輝き、70年からは捕手兼任監督としてチームを率いた野村克也(79)=サンケイスポーツ専属評論家=は南海ホークスの象徴だった。 「戦後初の三冠王といえば聞こえはいいが、その後に王貞治(巨人)が2度(73、74年)、それも連続で取るわ、63年のシーズン最多本塁打(52本)も翌年に55本であっさり抜き去るわ…。少しは武士の情けを考えろというんだよ」 この手の話になると、野村は必ずこう言って笑