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鉛筆の歴史と政宗鉛筆
鉛筆の芯には黒鉛が使われますが、その黒鉛がイギリスで発見されたのは1564(永禄7)年で、伊達政宗が生... 鉛筆の芯には黒鉛が使われますが、その黒鉛がイギリスで発見されたのは1564(永禄7)年で、伊達政宗が生まれる3年前のことでした。そして、イギリスでの黒鉛発見からわずか約半世紀後には政宗が鉛筆を手にしていたようです。 この鉛筆は、政宗墓所の副葬品の中から発見されたものを調査し、1987(昭和62)年に復元したもので、芯が軸の先に接着されキャップがついた構造で筆に似ている部分もあります。 様々な文書で、自分自身が書いたことをあらわすためには印鑑やサインが使われますが、手で書いた文字がその人自身をあらわす文様にまでなったものに花押(かおう)があります。 これは伊達政宗が1588(天正16)年から1636(寛永13)年までの間に使用した花押です。公用、私用のものもあわせて、時代毎に変化してきていることがわかります。 花押は中国から伝わり、日本では平安時代から使われました。高位の人びとは、書面を代筆