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Back to the 80’s いまでもときどき思い出すこと(4) – 橘玲 公式BLOG
大学を卒業したものの、なにをするあてもなく、新橋にある小さな出版社で働いていた。編集長は20代後半... 大学を卒業したものの、なにをするあてもなく、新橋にある小さな出版社で働いていた。編集長は20代後半の気のいいひとで、世界を放浪したあと見よう見真似で雑誌づくりの仕事を始めた。部下はなにも知らないぼくと、もっとなにも知らない女の子が一人だった。 ある日その編集長が、海外の宝くじを日本で買える、という話を聞きつけてきた。面白そうなので雑誌に載せたら、ものすごい反響があった。当時はまだジャンボ宝くじやロトシックスなどない時代で、1等賞金が1億円を超える北米やヨーロッパの宝くじはとても珍しかったのだ。 ビジネスチャンスを嗅ぎつけた編集長は、1人で飛行機に飛び乗って、ドイツの宝くじ会社と海外販売の独占契約を結んできた。ぼくの仕事は、編集長が持ち帰った大量のドイツ語の資料を翻訳し、宝くじの仕組みや買い方、当せん金の受取り方をマニュアルにすることだった。 日本ではじめての海外宝くじの雑誌ができると、スポ
2011/05/02 リンク