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「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」と美空ひばりが歌った反戦と平和の歌
1974年に「一本の鉛筆」という歌が誕生したのは、1945年8月6日に原子爆弾によって焦土となった広島で、... 1974年に「一本の鉛筆」という歌が誕生したのは、1945年8月6日に原子爆弾によって焦土となった広島で、復興と平和をテーマにして始まった音楽祭がきっかけだった。 美空ひばりには幼少時に父が徴兵された後、四人の幼子を抱えた母と一緒に戦火の中をかろうじて生き延びてきたという、横浜大空襲の体験が生々しく記憶されていた。かろうじて避難した手作りの防空壕では、生き地獄のような恐怖を味わった。 戦後になってから、夏の日ざかりに焼けたアスファルトの道をゴム長靴をはいて、魚屋の仕入れでリヤカーを引く母の姿を美空ひばりは鮮明に覚えていた。 “世界に平和を発信したい”という広島テレビ放送の企画に賛同し、音楽祭への出演を快諾した美空ひばりは、課題となった描き下ろしの作品「一本の鉛筆」に取り組んだ。 この真っ直ぐなメッセージ・ソングを作詞したのは、映画の脚本家だった松山善三である。彼は「広島平和音楽祭」の総合演
2015/08/04 リンク