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漣健児の偉業〜日本語ポップスの源流を作った男、その訳詞スタイルとは!?
1960年代、当時のアメリカンポップスをリアルタイムで400曲以上も日本語化した男がいた。 彼の名は漣健... 1960年代、当時のアメリカンポップスをリアルタイムで400曲以上も日本語化した男がいた。 彼の名は漣健児。 日本のニューミュージック界を牽引してきたミュージシャンの一人、山下達郎が彼についてある取材で語った言葉が実に的を射ている。 「洋楽のメロディーに日本語の詞を乗せるという、我々が今も変わらずやっていることは、漣健児と岩谷時子、このお二方が書かれた詞の中で、ほとんどすべてが完結していたといっても過言じゃないんですよ。」 「例えばロックンロールなら漣さん、シャンソンだったら岩谷さん、といった感じで、ほとんどお二人の独壇場でしょう。その後のロックやフォークにまで至る、僕たちの言語感覚は、当時のカヴァー・ポップスの中から生まれたんだと思います。」 60年初頭。自宅にレコード、もしくはオープンリールのテープを持ち帰ると、掘り炬燵のある四畳半の部屋にこもるのが漣健児の日課だった。 テープレコーダ
2018/01/27 リンク