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鈴木茂の27歳~「まるで異次元の人みたいに憧れたものでありました」と中島みゆきが集めたソロ・アルバム
Home TAP the STORY 鈴木茂の27歳~「まるで異次元の人みたいに憧れたものでありました」と中島みゆきが... Home TAP the STORY 鈴木茂の27歳~「まるで異次元の人みたいに憧れたものでありました」と中島みゆきが集めたソロ・アルバム - TAP the POP 1960代後半から70年代初頭の音楽シーンでは、海外のバンドのコピーから始まった日本のロックに関して、オリジナルの場合でも使い慣れない英語で歌うべきか、あるいは日本語で歌ったほうがいいのか、何度となく議論が起こり、さまざまな試行錯誤が行われた時期があった。 すでにフォークと呼ばれるジャンルでは、日常的に会話するような言葉を使って、自分たちのメッセージを歌うシンガーが登場していた。 そのときに日本語でロックをやると意気込んでいたのが、細野晴臣とともにロック・バンドの「エイプリルフール」にいた松本隆だ。 高校を卒業する頃に自分たちでバンドをやって何か作りたい、外国のものをコピーするんじゃなくて何か自分たちのものを作りたい。それに
2017/07/29 リンク