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川内倫子写真展「Semear」
正方形の写真。 川内倫子の写真を見るとき、真っ先に目がいくのがそのフォーマットであろう。しかし、そ... 正方形の写真。 川内倫子の写真を見るとき、真っ先に目がいくのがそのフォーマットであろう。しかし、それにも関わらず、彼女の写真を語る際にフォーマットそのものに注目が向くことはまずない。そこで、今回のレビューでは川内倫子の写真における正方形フォーマット論を軸に展開してみたい。 川内倫子の提示する「正方形」は、今までの「正方形」観とは全く異なっていると言っていい。従来の「正方形」観は、球体関節人形を撮影したハンス・ベルメールやマネキンを撮影したベルナール・フォコン、畸形や死体を撮影したジョエル=ピーター・ウィトキンなど「死」を連想させることが多かった。しかし、川内の写真は、今回の展覧会にも出品されている牛の写真を見ると分かるように、死体ではあるが皮だけであり、強烈な「死」の喚起には程遠い。死を劇的に「演出」するのではなく、死を「挫折」させてしまう。死に肩透かしを食らわせている。従来の「正方形」観
2008/05/10 リンク