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最終回 資本主義の思弁的同一性 part4|資本主義の〈その先〉に|大澤 真幸|webちくま(1/5)
※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox 「可能性」観念の極端な両義性 ジョン・ロックは、こう言って... ※推奨ブラウザ:Google Chrome / Firefox 「可能性」観念の極端な両義性 ジョン・ロックは、こう言っている。「始めは、世界全体がアメリカであった」と(1)。ロックのこの言葉に示されるように、ヨーロッパから北米に渡った者にとって、「アメリカ」という土地は、世界と人間の始源状態と感じられた。実際には、アメリカにも先住民がいたのだから、つまりそこにはすでに世界も社会もあったのだから、これは、とんでもない認識だが、今はこの点は脇においておく。いずれにせよ、北米に入植した者たちは、ヨーロッパの伝統の束縛から自由に、原点から始めようとした――始めることができるとの強い実感をもっていた。この場合、ヨーロッパの伝統とは何か。端的に言えば、それは、カトリックのことである。言い換えれば、北米では、プロテスタントの論理が、カトリック的な残滓から完全に解放されて、純粋に作用した。 われわれは、
2016/11/05 リンク