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追い詰められたぎりぎりのところでも踏みとどまれるかどうかは、じぶんが無条件に肯定された経験をもっているかどうかで決まる 『悲鳴をあげる身体』鷲田清一 - 読書生活
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追い詰められたぎりぎりのところでも踏みとどまれるかどうかは、じぶんが無条件に肯定された経験をもっているかどうかで決まる 『悲鳴をあげる身体』鷲田清一 - 読書生活
褒めてのびるタイプです、って自分で言う人いるでしょう。みんなそうです。みんな。 鷲田さんのこの本、... 褒めてのびるタイプです、って自分で言う人いるでしょう。みんなそうです。みんな。 鷲田さんのこの本、名言がつまっています。ちなみに、哲学者で大阪大学の元学長という偉い方です。 人には肯定される経験が必要だと言います。肯定される経験とは何か。大抵の人は、家庭でその経験をすると。例えばこぼしたミルクを拭ってもらい、弁で汚れた肛門をふいてもらい、額やわきの下、指や脚のあいだを丹念に洗ってもらう、こういう経験です。 言うことを聞いたから、とか、おりこうさんにしたらとかいった理由や条件なしに、自分がただここにいるという、ただそういう理由だけで世話をしてもらう、これが大切なのだと。 「何らかの見返りを求めることなく、その人間の世話をする」この経験を、わたしは子育てで行いました。 今までを振り返ると、大抵の人間関係でわたしは相手に見返りを求めてきました。 恋愛関係はもちろんです。「あの人が振り向いてくれる