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環濠は唐古・鍵遺跡だけじゃない!?近世環濠が残る寺内町、田原本 - 大和徒然草子
皆さん、こんにちは。 先日、奈良県磯城郡の田原本町に、行ってきました。 場所はこちらで、近鉄橿原線... 皆さん、こんにちは。 先日、奈良県磯城郡の田原本町に、行ってきました。 場所はこちらで、近鉄橿原線の田原本駅が田原本町中心街の最寄り駅となっています。 田原本町は奈良盆地の中央に位置する町で、弥生時代の大規模環濠集落、唐古・鍵遺跡があることでも有名です。 そんな田原本町の中心地、田原本は近世「寺内町」として栄えた町で、古民家や寺社、そして掘割が今に残ります。 こちらが1704(元禄17)年の「田原本村」の絵図です。 ちなみに上下が東西、左右が北南となっている地図で、地図のもっとも上部(東)を流れる川が寺川で、町の隅々に堀がめぐらされた町だったことがわかります。 上記の絵図をもとに現在の航空写真へ環濠を書き込むと下図のようになります。 国土地理院HPより作成 この地に町が開けたきっかけは、1595(文禄4)年、豊臣秀吉の家臣で賤ケ岳の七本槍の一人、平野長泰が田原本の地に5000石の領地を与え
2019/10/14 リンク