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筒井順慶の大和制覇~大和武士の興亡(17) - 大和徒然草子
1559(永禄2)年に始まる三好氏重臣・松永久秀による大和侵攻で、父・順昭の代に大和を統一した筒井氏を... 1559(永禄2)年に始まる三好氏重臣・松永久秀による大和侵攻で、父・順昭の代に大和を統一した筒井氏を率いる筒井順慶は本城・筒井城を奪われて劣勢を強いられました。 1564(永禄7)年、三好長慶の死によって三好家中に内訌が発生すると、順慶は三好三人衆と組んで勢力を挽回。久秀を多聞山城に追い込み、筒井城を奪回します。 ところが1568(永禄11)年9月に織田信長が足利義昭を奉じて上洛を果たすと、かねてより義昭、信長と誼を通じていた久秀が再び勢力を盛り返して三好三人衆は阿波へ逃亡。 信長によって義昭への帰参を認められなかった順慶は、信長の援軍を受ける久秀によって再び筒井城を奪われ、東山中へと逼塞を余儀なくされました。 そして同年10月、三好三人衆と阿波三好氏に擁立されていた14代将軍・足利義栄が逃亡先の阿波で死去すると、信長や久秀、河内守護の畠山秋高によって擁立された義昭が15代将軍となったの
2023/10/13 リンク