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海防艦第二〇五号海戦記―知られざる船団護衛の死闘 - 山猫文庫第3版
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海防艦第二〇五号海戦記―知られざる船団護衛の死闘 - 山猫文庫第3版
総合評価:★★★★☆ 太平洋戦争中に海防艦へ乗艦した一水兵の回想。「回想 海防艦第二〇五号」(東京経済、... 総合評価:★★★★☆ 太平洋戦争中に海防艦へ乗艦した一水兵の回想。「回想 海防艦第二〇五号」(東京経済、1994年)の改題。 1944年、日本海軍舞鶴海兵団に入隊した筆者が、訓練の後に配属されたのは丙型海防艦第205号であった。すでに敗色濃厚な中、海防艦は日本の生命線たるシーレーン防衛を担い、潜水艦や爆撃機に立ち向かう。機雷術練習を受けた筆者も、艦の主兵装たる爆雷員として懸命に戦った。しかし、戦局は悪化の一途で、ついには北海道の室蘭港にいてさえ、敵戦艦の艦砲射撃にさらされるのであった。 1945年、ついに敗戦。からくも生き残った海防艦第205号は、特別輸送艦として復員輸送に従事する。12月、筆者は待ちに待った召集解除を迎え、故郷の新潟へと帰りつく。 しかし、地味な任務ながら、割合に著名な場面に顔を出しています。モタ29船団・ヒ87船団を護衛した最初の出撃では、高雄と香港でアメリカの第38任