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歴史探訪 継体天皇出生の地 ~近江高島~ 前編
(原文) 男大迹天皇(更名彦太尊)、誉田天皇五世孫、彦主人王之子也。母曰振媛。振媛、活目天皇七世之孫也... (原文) 男大迹天皇(更名彦太尊)、誉田天皇五世孫、彦主人王之子也。母曰振媛。振媛、活目天皇七世之孫也。天皇父聞振媛顏容姝妙甚有媺色、自近江國高嶋郡三尾之別業、遣使聘于三國坂中井(中、此云那)納以爲妃、遂産天皇。 天皇幼年、父王薨。振媛廼歎曰「妾、今遠離桑梓、安能得膝養。余歸寧高向(高向者、越前國邑名)奉養天皇。」 (現代語訳) 継体天皇(別名は彦太尊(ひこふとのみこと))は応神天皇五世の御孫で、彦主人王の御子である。母は振媛(ふるひめ)という。振媛は垂仁天皇七世の御孫である。天皇の父(彦主人王)は、振媛が容姿端麗で大層美しいという噂を聞いて、近江国高嶋郡の三尾の別業(なりどころ)から使者を遣して、三国の坂中井(さかない=現在の福井県坂井市三国町) から(振媛を)迎え妃とされた。そして継体天皇がお生まれになられた。 継体天皇が幼年のうちに父彦主人王が薨去された。振媛は嘆いて、「私は今、遠く