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内蒙古からチベット7000キロの旅③ 蒙古草原の村 - 地球へめぐり紀行
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内蒙古からチベット7000キロの旅③ 蒙古草原の村 - 地球へめぐり紀行
翌13日はさらに北へ向かった。王府をすぎると平原の道は轍になった。川のあまりない平原の低地はぬか... 翌13日はさらに北へ向かった。王府をすぎると平原の道は轍になった。川のあまりない平原の低地はぬかるんでいるところがあり、時々車輪がスリップして、走行は思うようにはいかなかった。車は日本製の四輪駆動であるが、中国科学院所属の科学査察車で、屋根には荷台があり、頭部にはウィンチ(巻上げ機)もついている。 道沿いはまだ農業地帯であるが、王府までとは異なって、ポツリ、ポツリと土の家があり、その周辺が耕作地になっているだけで、集落はあまりない。平原には樹がなく、農耕地以外は、昔ながらの草原である。 平原の中の道沿いに続く畑 このあたりの農民は、1949年の新中国である中華人民共和国の樹立以後、蒙古族の遊牧地に、南のフフホトや四子王旗などから一方的に侵入し、移住した漢民族である。遊牧の地であった蒙古の平原は、南の方からしだいに農耕地化しており、今でも少しずつ北へ伸びている。だから北へ行けば行くほど農耕地