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義満建立の「鹿苑院」か - MSN産経ニュース
同志社大今出川キャンパス(京都市上京区)内にある相国寺旧境内の遺跡から、室町幕府の3代将軍、足利... 同志社大今出川キャンパス(京都市上京区)内にある相国寺旧境内の遺跡から、室町幕府の3代将軍、足利義満が建立した塔頭(たっちゅう)「鹿苑院(ろくおんいん)」とみられる遺構が見つかり、同大学が24日発表した。鹿苑院は義満の墓所とされ、多数の文献で存在が確認されているが、実際に遺構が見つかったのは初めて。 足利義満は永徳2(1382)年に相国寺を創建し翌年、境内に鹿苑院を建立した。ともに応仁の乱などの戦乱で焼け落ちたため、鹿苑院の正確な位置は不明だった。 同志社大の発掘調査で、建物の柱の礎石を支える「根固め石」を約4・5メートル間隔で6カ所確認。いずれも直径約1メートルの円柱形に石が多数埋められていた。根固め石の周辺では、足利家の家紋「桐紋」が入った瓦(直径約18センチ)十数点や、鹿苑院を示すとみられる「鹿」と墨書きされた土器(直径約17センチ)も見つかった。 同大歴史資料館の浜中邦弘講師(考古