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【正論】初代内閣安全保障室長・佐々淳行 貧弱な「海防」まだ分からぬのか - MSN産経ニュース
≪思い起こせよ『海国兵談』≫ 尖閣沖の中国漁船衝突事件で、林子平(はやし・しへい)の『海国兵談(か... ≪思い起こせよ『海国兵談』≫ 尖閣沖の中国漁船衝突事件で、林子平(はやし・しへい)の『海国兵談(かいこくへいだん)』を思いだした。寛政3(1791)年に刊行された全16巻の「海防論」だ。 列強によるアジア植民地化が進む中、鎖国政策で泰平の眠りに耽(ふけ)る幕府に、南下してくるロシアの脅威に備えて近代的な海軍と沿岸砲台の建設を強く説いた警世の書だったが、幕府はこれを発禁処分にし、林子平に閉門蟄居(ちっきょ)を命じ、失意のうちに彼は憤死する。 だが、彼の「海防論」は尊皇攘夷(じょうい)の志士たちに受け継がれ、明治維新の原動力となった。やがて日本が日清・日露・第一次大戦と勝ち進み版図を広げるにつれ、「海防」は国防の基本政策となり、国境警備、沿岸警備、島嶼(とうしょ)防衛の海防思想は国民に浸透、旧海軍には海防艦という艦種も生まれた。 それが敗戦で一変する。艦砲の射程から決まった3カイリという国家の
2010/11/08 リンク