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【関西の議論】艦の右舷を走る魚雷、恐怖で「足がガクガクした」…最後の戦没艦「第13号海防艦」乗組員の教え子が手記(1/2ページ) - MSN産経west
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【関西の議論】艦の右舷を走る魚雷、恐怖で「足がガクガクした」…最後の戦没艦「第13号海防艦」乗組員の教え子が手記(1/2ページ) - MSN産経west
終戦前日の昭和20年8月14日、兵庫県香美町香住区沖合で海軍の海防艦が米潜水艦の魚雷攻撃で沈没し... 終戦前日の昭和20年8月14日、兵庫県香美町香住区沖合で海軍の海防艦が米潜水艦の魚雷攻撃で沈没して69年。当時、15歳だった乗組員の手記が「最後の戦没艦・第13号海防艦戦記~終戦前日、香住漁船団の懸命な救出~菅野元水兵長手記から」として発行された。海防艦での少年の過酷な戦闘体験や沈没の状況、地元漁師らの決死の救助が生々しくつづられている。 沈没したのは、大戦末期の船団護衛用に建造された第47号と第13号(いずれも745トン)。手記は13号の通信兵で当時、水兵長だった菅(すげ)野(の)昭さん(84)=東京都在住=が、昭和19年9月の乗艦から沈没までの約1年間を記録した。 8月14日、47号は京都・舞鶴から輸送船1隻を護衛し、13号は鳥取・境港から47号と香住沖で合流するため航行。昼ごろ、47号が米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。13号も機銃で応戦したが、魚雷攻撃を受けて約30分後に沈没した。計