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青春と読書 『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』内田 樹/中田 考 著 イスラームを学ぶことは、システムの不正に気づく手段 中田 考|| 集英社新書
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『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』内田 樹/中田 考 著 イスラームを学ぶことは、シ... 『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』内田 樹/中田 考 著 イスラームを学ぶことは、システムの不正に気づく手段 中田 考 大学三年生の時、イスラームに入信した。それから三〇年が経ち、人生の半分以上はムスリムとして暮らしていることになる。 「ムスリムになってよかったことはなんですか」と聞かれることがあるが、これが答えに窮する。見えるものがリアルで、見えないものはリアリティがないと考えるのが近代的な世界観だ。それに対して中世の世界観では、リアルなものはむしろ天上にあり、一瞬前と今で変わっていくような我々の生きている現実は、あくまでも仮象、仮の世界でしかない。そのような中世的世界観に立脚するイスラームでは、重要なのは来世であって、現世利益はあまり求めないからだ。そうやって生きていると、ムスリムになって何がよかった、などということはいちいち考えたりしないのである。 また、「ムスリムに