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「とっぽい奴」は抜け目がないのか、間抜けなのか?: ケペル先生のブログ
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「とっぽい奴」は抜け目がないのか、間抜けなのか?: ケペル先生のブログ
「悪名」 八尾の朝吉とモートルの貞 「とっぽい兄ちゃん」という表現はヤクザ映画などでしばしば使われ... 「悪名」 八尾の朝吉とモートルの貞 「とっぽい兄ちゃん」という表現はヤクザ映画などでしばしば使われ、「とっぽい」は比較的よく耳にする形容詞ではあるが、時代や前後の文脈により、さまざまな使われ方をする言葉だ。もともと明治時代には「ずる賢い」「抜け目がない」という意味であったが、昭和に入ると「気障で不良じみた人」「生意気」などという意味も加わってきた。そのためヤクザ風の若い男に対して使われることが多い。だが戦後、「いかす」「イケてる」などと比較的近いニュアンスを持つ言葉が流行したことで、「とっぽい」の意味に変化が生ずるようになる。1970年代の吉田拓郎の「とっぽい男のバラード」に見られるように「何をやってもダメな奴」というイメージで歌われている。歌詞には「何をやってもダメなうすのろだけの男、好きな女がいても他の男にとられて、とっぽくてとりえのない男」とある。 つまり現在では「ずる賢い、抜け目が