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vol.75「人間として」、「人間だから」③|2月|2018年|ともいきエッセー|公益財団法人浄土宗ともいき財団
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vol.75「人間として」、「人間だから」③|2月|2018年|ともいきエッセー|公益財団法人浄土宗ともいき財団
前回、「人間が、その正論で言うように生きてきているだろうか。ここが問題なのだ。正論を解く宗教家や... 前回、「人間が、その正論で言うように生きてきているだろうか。ここが問題なのだ。正論を解く宗教家や哲学者は、しかし、一方で人間の感情にも言及している。人間は、理性も持っているが感情に左右されやすい生き物でもある」と言った。法然上人も「欲界の散地に生をうくるもの、心あに散乱せざらんや。煩悩具足の凡夫、いかでか妄念をとどむべき、その條は源空もちからおよび候わず」と、この世に生まれた煩悩に満ちた人間が、心を乱したり妄念にとりつかれることには、自分もどうすることもできない、とおっしゃっている。 その通りだと思う。人間とは愚かな生き物なのだ。世で起きる犯罪などのニュースを見ていても、その犯罪者の心に「なぜ」と思う気持ちが起こるが、まさに人の思い・考えはいろいろだと思わせられる。百人百様である。また、犯罪ではないにしても、ちょっとした感情の行き違いでの争い、不注意や失言・失敗は人間にはつきものだ。そうし