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EQ差別とリベラル思想 | ブログ運営のためのブログ運営
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EQ差別とリベラル思想 | ブログ運営のためのブログ運営
ここ最近はEQが低い人への差別が跋扈している。 興味深いのは、この現状をリベラルなひとたちが肯定して... ここ最近はEQが低い人への差別が跋扈している。 興味深いのは、この現状をリベラルなひとたちが肯定していることだ。 つまり政治的に正しい人たちが、EQ差別を容認しているのである。 なぜかというと、おそらく根っこにあるのは、IQとEQが反比例するという発想である。 つまり知能指数で人間を選別するのが政治的に正しくないから、EQ弱者を差別することで、リベラルたらんとしているのである。 これは差別の構造として典型的な事例なのである。 差別はそれが行われている間は差別とは言われない。 差別が当然だと思われているわけだ。 EQ差別に関しては、2016年時点で誰も差別とは思っていない。 これがしばらくすると、積み重なった差別への反省として、重度の発達障害だから東大に入れるとか愚にも付かない逆差別政策に反映されるわけだ。 IQとEQが反比例するのかどうかは何とも言えないが、社会的エリートがナードであるのも