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南方熊楠と朝鮮-趙恩馤(ちょう うね)
右の年譜のように、今村は一八七〇年高知県高岡郡高岡町に生まれ、一九〇八年から一九二五年まで警官と... 右の年譜のように、今村は一八七〇年高知県高岡郡高岡町に生まれ、一九〇八年から一九二五年まで警官として朝鮮に赴任しているが、かたわら朝鮮の風俗に関する研究を続け、退職後も数多くの朝鮮総督府風俗資料編纂を手がけたことで知られている。今村の研究は、本人が自ら「自分は決して世間の所謂る学者先生では無い」というように、個人の趣味から始め、朝鮮総督府の編纂事業としての著作が多い。また、これらの研究は「朝鮮の警察の此創設時代に於いて最も必要な事は朝鮮の風俗習慣を調査して是を知悉する事である」ということがきっかけであった(3)。警官としての立場や今村の著作の目的に、植民地政策との関わりがあることから、今村の研究はしばしば当時の民俗学に対する批判において問題とされてきた。個人の著作として最も知られている『朝鮮風俗集』に「朝鮮人の犯罪」「朝鮮人に対する官命の効果」などの項目が、今村の職務に関係することであった