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太田典礼小論
「日本ではホスピスがたくさんできたら安楽死問題は解決するように思うとする甘い楽観主義者もあるが、... 「日本ではホスピスがたくさんできたら安楽死問題は解決するように思うとする甘い楽観主義者もあるが、私はここを安楽死への一つの道と受けとった。」 ――太田典礼『反骨医師の人生』一九八〇年 一.素描 安楽死・尊厳死に関する歴史研究・思想史研究は、これまで、米国オレゴン州、及びオランダを中心になされてきた(1) 。安楽死法制化の「先進国」である両国がすでにそれを実現し実行されていることを考えれば当然のことではある。だが、いずれもこれまでの生命倫理学の枠組みを用いて事後的に論争を整理しており、同時代の観点で整理されているとはいいがたい。 本稿でとりあげる太田典礼(一九〇〇~一九八五)は、日本の死ぬ権利推進団体である日本安楽死協会(現日本尊厳死協会)を設立し牽引した人物として知られる。同時に、避妊具太田リングを開発した戦前からの産児調(99p)節運動、性科学研究、戦争後一九四八年に施行された優生保護