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いろいろなキューバが見えてくる Vol.8 持続可能な国づくりへの挑戦 その1 食糧危機を救った都市農業
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いろいろなキューバが見えてくる Vol.8 持続可能な国づくりへの挑戦 その1 食糧危機を救った都市農業
今、日本では長引く不況の中で「失われた十年」という言葉が口にされるが、90年代にキューバ人、そして... 今、日本では長引く不況の中で「失われた十年」という言葉が口にされるが、90年代にキューバ人、そしてハバナっ子たちが直面したのは、想像を絶するような食料危機の十年だった。 キューバの食料自給率は43%にすぎず、大半を輸入食糧に依存していたが、ソ連崩壊にともない輸入量が半減し、農薬や肥料不足で国内生産も以前の55%にまで落ち込んだ。石油不足で輸送手段も麻痺し、収穫物は消費者のもとに届く前に畑で腐る。食料危機は、国全体を震撼させたが、とりわけ国民の8割が居住する首都ハバナを始めとする各都市にとっては致命的であった。一歩舵取りを誤れば、大量の餓死者を出しかねない危機的状況の中で、市民たちが選択したのは、首都を耕すという非常手段だった、、、。 経済危機の以前には、生鮮野菜を食する習慣がなく、不足する栄養分は輸入缶詰めやビタミン錠剤で補っていた。すなわち、都市農業は非常事態下で国をあげて緊急的に取