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【満州に残されて 中国の小兵士として生きた男】1 一家離散:北陸文化:北陸中日新聞から:中日新聞(CHUNICHI Web)
石川県白山市に住む小関昌司(こせきしょうじ)さん(84)は1940(昭和15)年11月、出身地の... 石川県白山市に住む小関昌司(こせきしょうじ)さん(84)は1940(昭和15)年11月、出身地の山形県白鷹村(現白鷹町)から父母、姉弟と共に太平山山形開拓団として旧ソ連との国境近くに移住した。落ち着いたのは牡丹江省の南にある鏡泊湖。小学6年生だった。ソ連の侵攻、終戦は新たな苦難の始まりだった。中国に取り残されて孤児となり、生き延びるために共産党軍に入る。帰国した58(同33)年まで14年間、青春を異国の内戦に費やし中国と日本の2国を生きた。その数奇な経験を聞いた。(寄稿・北陸満友会会員、ライター早瀬徹=石川県能美市在住) 一九四五年八月九日の夜、満州へのソ連軍の侵攻を耳にすると、小関さん一家は鏡泊湖の対岸の山から近くの発電所に向かった。雨が降る中を日本兵とともに逃げる。泣く弟のために母の千代さんが土下座をして関東軍の兵隊に謝っていた。彼らは一緒に行動するなら、十歳未満の子供を捨てるように迫
2017/08/17 リンク