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「おろしゃ会」会報 第10号
日露戦争期・国内収容所におけるロシア兵捕虜への識字教育問題 京都大学大学院人間・環境学研究科 共生... 日露戦争期・国内収容所におけるロシア兵捕虜への識字教育問題 京都大学大学院人間・環境学研究科 共生文明学専攻 平岩貴比古 平成16(2004)年度 修士論文 要旨 今から百年前の日露戦争(1904―1905年)では、多くのロシア将兵が日本側の捕虜となった。国内29地方に収容されただけでもその数は72,418名に上る。 当時のロシア帝国軍は「多民族」で構成された軍隊であった。陸軍省の統計によれば、捕虜総数に占める「非正教徒・異教徒」および「地方出身者」の割合は、ともに四分の一に達した。またロシア陸軍新兵検査のデータから試算すると、ロシア陸海軍全体での文盲率は実に50―60%だったことが判明する。 日露戦争期、日本ハリストス正教会は「俘虜信仰慰安会」を結成し、日本人神父を各収容所に派遣して捕虜への支援事業を行う。ニコライ主教は、捕虜からの求めに応じて東京からロシア語教科書を発送した。当初、彼は