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朝野魚養の秘密1. 日本の妻
昔、中国は先進国であった。 高度な文明を誇った古代王朝・唐は、周辺国家群からの羨望(せんぼう)の的で... 昔、中国は先進国であった。 高度な文明を誇った古代王朝・唐は、周辺国家群からの羨望(せんぼう)の的であった。 当時の日本は、 「かよえ!チューゴク」 とばかりに多数の留学生や留学僧などを派遣、その最先端の文物を吸収しようとした。 これすなわち遣唐使である。 「わしは帰ってきた……」 摂津難波(なにわ。大阪府大阪市)へ帰航する遣唐使船の中に、感慨深げな壮年男がいた。 「十七年ぶりの日本だ」 時は天平六年(734)。この男、養老元年(717)に入唐していた。 その間、政治学・宗教学・文学・天文学・数学・兵学・音楽などを極め、碁の達人にもなっていたのである。 「これら諸学諸芸は今後のわしの糧になる。わしには出世が待っている。ヒッヒッヒ」 男の名は下道真備。後の吉備真備である。 真備が平城京の自宅に帰ると、妻と子が出迎えた。 「お父さん!」 「あなた!」 娘の名は下道由利(ゆり。「奈良味」参照)。
2013/10/04 リンク