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ひとりで勝手にマンガ夜話 :: 拝啓 手塚治虫様 第19-1回 「血まみれのヘンリエッタ」
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拝啓 手塚治虫様第19-1回 「GUNSLINGER GIRL」試論1 血まみれのヘンリエッタ 私的物語論のために こ... 拝啓 手塚治虫様第19-1回 「GUNSLINGER GIRL」試論1 血まみれのヘンリエッタ 私的物語論のために これから言う「物語」は「ストーリー」とは違う意味で使うことになる。物語論(ナラトロジー)は学問としてまだまとまっていないらしくて、学者によって解釈に隔たりがあるんで、きっちりと定義し難いし、付け焼刃でどうこう言えるものではないので、私の解釈による「物語」の定義であることを前提にしたい。で、物語は大きく4つに分けることが出来る。 まず「ストーリー」。プロットとかエピードの塊である。起承転結やら序破急やらの話もこれになる。 次に「キャラクター」。登場人物と同義、混同して使われてても意味に差はない。萌えやらかっこいいなんかの話はここになる。 第三が「世界観」。前二者が働くための土俵であり、作品を支える骨格である。現代物の作品の多くがこれをあまり考えずに作られるの