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東三河最古の横穴式石室を確認 豊橋の三ツ山古墳
豊橋市文化財センターは13日、三ツ山古墳(牟呂町)で22年ぶりに発掘調査した結果、東三河最古の横穴式... 豊橋市文化財センターは13日、三ツ山古墳(牟呂町)で22年ぶりに発掘調査した結果、東三河最古の横穴式石室を確認したと発表した。1回の葬送で入り口をふさいだ特殊な構造で、この様式としては東海地方で初。完成した6世紀前葉の一般的な様式と異なり、大陸から伝わった当初の形をとどめているという。 古墳跡がある三ツ山公園の再整備を機に、11月から始めた発掘調査で分かった。前回調査では石室入り口が壊れた状態だったため、石室内の調査にとどめていた。 三ツ山古墳ができた6世紀前葉は、遺体の葬送は石室入り口の開け閉めを繰り返す「追葬」と呼ばれる様式が一般的だったとされる。一方、この石室は1度遺体を葬送し、入り口に石を積み土を盛って墳丘を築いた。 センターによると全長38㍍の小規模な前方後円墳で、三河湾に突き出した小さな半島の先端にあったとされる。過去の調査では石室から刀剣などが出土した。石室は入り口付近の保存