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河北新報/河北抄
1400人以上が犠牲となった仙台空襲から10日で66年になる。17年前、戦後50年の節目の年を控... 1400人以上が犠牲となった仙台空襲から10日で66年になる。17年前、戦後50年の節目の年を控え「私が見た仙台空襲」という連載を手掛けた。 宮城県松島町の桜井重雄さん(83)は、当時勤めていた町内のホテルの一室で静かに語り始めた。 空襲時、仙台の病院に入院していた母親は世話をする姉と病室にいた。B29が襲来したのは、退院予定だった10日の未明だった。 桜井さんは自転車で通い、2人を1週間捜し続けた。「たくさんの焼けぼっくいのような遺体を、一体一体確認する日々でした」 遺体は見つからなかった。母親の墓には病院の焼け跡で見つけた愛用の茶わんのかけらを納めた。 戦災と震災。東日本大震災の行方不明者は、宮城県内だけでも約2800人に上る。何年たっても当時の記憶が鮮明に残る桜井さんはいま、被災者を思いやる。「家族を見つけたいとの気持ちは変わらない」 桜井さんは10日、仙台市主催の戦没者
2011/07/10 リンク