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河北新報 東北のニュース/海辺の記憶 石巻湾周辺・渡波 江戸期から製塩で繁栄
海辺の記憶 石巻湾周辺・渡波 江戸期から製塩で繁栄 塩不足に悩まされていた仙台藩は万石浦で塩田開発... 海辺の記憶 石巻湾周辺・渡波 江戸期から製塩で繁栄 塩不足に悩まされていた仙台藩は万石浦で塩田開発に成功し、塩蔵加工品の流通を増やした。塩を含んだ砂を集める長方形の木箱は「台坪」と呼ばれた=1957年 <潮の干満を利用> 東日本大震災による地盤沈下で冠水被害が相次いだ石巻市渡波地区。今は住宅が集まる万石浦西岸にはかつて、潮の干満を利用した塩田が一面に広がっていた。 「万石浦小の周辺一帯が塩田だった。小学生のころは製塩場の鉄釜にカニを放り込んで食べたもんだ」。父が塩田で働いていたという阿部喜郎さん(68)が思い出す。 江戸期に根岸村の一部だった渡波は、北隣の流留村とともに仙台藩の製塩を担った。1807年に藩内で生産された20万俵のうち渡波が25%、流留は20%を占め、他産地を圧倒した。 入り江を利用した塩田は明治以降も続く。大蔵省塩務局(後の日本専売公社)の出張所が万石橋のたもとに置
2013/05/28 リンク