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残そう戦争遺跡<1>
戦後五十五回目の夏、平成十二年八月十八日からの三日間、南国市で「第四回戦争遺跡保存全国シンポジウ... 戦後五十五回目の夏、平成十二年八月十八日からの三日間、南国市で「第四回戦争遺跡保存全国シンポジウム」が開かれる。かつて高知海軍航空隊が設置されていた高知空港周辺には、当時をしのばせる戦争遺跡が数多く残る。風化する戦争体験をよそに掩体壕(えんたいごう)やトーチカは、五十五年間の風雨に耐えている。シンポを通じてあらためて注目を浴びる空港周辺の戦争遺跡を紹介する。 ◆空襲から守る目的 早場米の産地、南国市の高知平野では既に稲刈りが進んでいる。炎天下、大平洋から吹き抜ける風に黄金色の稲穂が揺れ、稲の香りが漂う。その中に立つ巨大な灰色のコンクリート製の掩体壕(掩体とも呼ばれる)は異質なコントラストを醸し出す。 掩体壕は戦時中、航空機を米軍の空襲から守るために建設された。計四十一基があったが、木製のものは敗戦後に解体され、コンクリート製九基のうち現在、七基が残っている。最大の掩体壕は高さ約十メートル、
2008/07/29 リンク