エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
伊藤喬範「対人場面における「曖昧」について考える」
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
伊藤喬範「対人場面における「曖昧」について考える」
大阪府立大学総合科学部人間科学科森岡研究室学生レポート 対人場面における「曖昧」について考える 伊... 大阪府立大学総合科学部人間科学科森岡研究室学生レポート 対人場面における「曖昧」について考える 伊藤喬範 第1章 はじめに 私は、人から「言っていることが曖昧で何が言いたいのかよくわからない」と言われることがある。この場合、「曖昧」とは「はっきりしない」とか「優柔不断」とか「どっちつかず」とか、どちらかといえばネガティブな意味で使われていると思われる。自分は竹を割ったような性格ではなく、話をしていると結局自分でも何が言いたいのかわからなくなってきたり言葉を濁したりすることがよくあり、「自分は曖昧だ」と自覚している。しかし、自分の場合、いつも相手の質問や話に対して何も考えていないから上手く言葉に出来ないというわけではない(時にはそういうこともあるが)。色々と考えてみた結果、答えが1つにまとまらなかったり、答えをはっきり言うことが躊躇われたりして、結局曖昧な答え方をしてしまうこともあるのである